一通りの海外を経験し、「もう旅行はいいかな」と口にしていた男たちが、ある時期を境にまた旅に出る。しかも選んだのはヨーロッパでもアメリカでもなく、かつて初海外で訪れたような場所——バンコク。なぜ今さら?と思うかもしれない。だが、彼らにとってバンコクは“最初に出会った異国”ではなく、“何度も向き合える余白のある街”になっている。気楽さと非日常が絶妙なバランスで共存するこの都市には、人生の節目でふと立ち寄りたくなる“何か”があるのだ。
バンコクは「きっちりしてない」ことが、ちょうどいい
整備されすぎた都市では年齢を重ねるごとに肩が凝る。逆に混沌とした都市では余裕を失ってしまう。その点でバンコクは実にちょうどいい。高級ホテルの隣で屋台が煙を上げ、スーツのビジネスマンと短パンのバックパッカーが肩を並べる。どこか雑然としていながら、不思議と調和が取れている。ここには「こうあるべきだ」という空気がない。何者でもなくていい。決めすぎなくていい。年齢や肩書を一旦脱ぎ捨て、素の自分として街に溶け込める、稀有な場所なのだ。
“夜の顔”こそが、バンコクの真価を物語る
バンコクを語るとき、夜の話を避けて通ることはできない。陽が沈んだ瞬間から、この街はまるで違う生き物のように姿を変える。ネオン、雑踏、笑い声、そしてときに生々しい駆け引き。そのすべてが旅人に“思い出の更新”を迫る。若い頃に味わった甘酸っぱさや、どこか忘れていた高揚感が唐突に蘇る瞬間がある。だが、それは単なる懐古ではない。過去に戻るのではなく、今の自分が“どんな旅人になったか”を再確認する、いわば静かな通過儀礼なのだ。
若い頃に見た景色と、同じようでまったく違う風景

二十代で訪れたナイトマーケット、トゥクトゥクのスピード感、現地の人との片言のやり取り——それらは当時「エキゾチック」で「刺激的」だったはずだ。しかし四十代、五十代になって同じ道を歩いても、感じ方はまるで違う。あの頃よりも街の温度や人の表情に敏感になり、逆に自分の感情には鈍感になっていたりもする。だが、それでいい。旅は相手ではなく自分が変わることで二度目も三度目も新しくなる。そのことを静かに教えてくれるのが、今のバンコクだ。
本当に“大人の旅”をしてみたくなったら
多くの旅本が「行き方」や「見どころ」を教えてくれるが、大人の旅に必要なのは“距離の取り方”だ。現地との距離、自分との距離、そして人との距離。それらをどう測れば心地よくいられるのか——それを知っている人間だけが、バンコクを“再訪”する。そしてその感覚を文字で共有できるガイドは実は少ない。もしあなたが次に行くべき旅を探しているなら、『おとなの歩き方 バンコク編』は、その羅針盤になるかもしれない。